なぜ世界は存在しないのか
 實在論者はなぜ實在論をとらねばならないかを説明しない、やうに思はれる。そして實在論をとるためにはどのやうに考へなければならないかを示し、そこから實在論を構築してゆく、やうに感じられる。その方向性をそもそも首肯できないんだよなあ。
 だいたいモノが存在するといふのと、概念が存在するといふのに同じ「存在する」といふ語をつかつてよいのかすら私にはわからないのに。