諸星大二郎「西遊妖猿伝 大唐篇(5)」

 金庸の小説を讀んだりしてもわかるが、中國ではおなじ世代の弟子には名に共通の一字をつかふものらしいのですね。三藏の弟子も悟空、悟能、悟淨と「悟」の字がみなついてゐる。もつとも、悟空はその師匠の須菩提がつけた名であり、悟能、悟淨は觀世音がつけた法名であるが。
 ですから「悟空と八戒」みたいな呼びかたは好かぬのである。悟能を八戒と呼ぶなといふのではなく、ならべるならおなじカテゴリにしろといひたい。「悟空と悟能」がいやなら「行者と八戒」にしろてえわけです。
 いやまあ本篇とは關係ないのですが。

西遊妖猿伝 大唐篇(5) (KCデラックス モーニング)

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