「侏儒の言葉 文芸的な、余りに文芸的な」(芥川竜之介)

 作者名は本の表記にしたがう。
 読んでいて、なんとも気恥ずかしくなりますな。ちょっとものを考える中学生だって、これくらいのことは思いつくのではないか。というか、「神」と題された『あらゆる神の属性中、最も神のために同情するのは神には自殺の出来ないことである』なんてのにいたっては、仮に思いついたとしても中学生は書き残すのをためらうでしょう。
 もちろん、思いつきをアフォリズムに文章化するのはまた別の次元の話なのでしょうが、その腕前すら疑問に思えます。『阿呆はいつも彼以外の人々を悉く阿呆と考えている』とヴォネガットの、『ばかやろうのいちばん困ったところは、利口に立ちまわるなんてことができると信じこむほど、やつらがばかなことだ』(うろおぼえ)とくらべれば、そりゃヴォネガットのがいいぢゃないですか。私はヴォネガットが大嫌いなんだけども。ともあれ、「マーフィーの法則」でも読むほうがマシなようです。
 ま、作者みずから「侏儒の言葉」と書いているんだから、そんなにいじめなくてもいいか。「広告」という文章の繰り返しギャグは面白かったしね。芥の川の知識なりけりだかなんだか知らないけど、物知りなのもたしかですな。