マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻
 圖書館で借りた本に書き込みがされてゐることがある。昨今の圖書館はそのへんに神經質だから、さういふ事態に遭遇することは減つてゆくのかもしれぬ。ともあれさうした書き込みはどれもどうでもよいところに線がひいてあるものばかりなんですね。なので本に書き込む徒輩はあほうばかりだといふ印象をもつてをるわけですが、たんに圖書館の本に書き込むやつが莫迦野郎なだけと考へるはうが穩當でありませうか。
 でも書き込みのある古書にあたったときも同樣だつたぞ? Kindleを使ひはじめたとき、他人のつけた傍線がみえるやうになつてて邪魔でしかたなかつたこともある。すぐさま設定を變更したけれど、いまでも初期設定はおなじなんだらうか。
 などと考へてゐたところ、教科書には私も書き込みをしてゐたことを思ひだした。線もひいたし、文字も書いた。落書きもした。
 つまり、本に書き込みをする者としない者がゐるといふよりも、本を教科書のやうに讀む者とさうでない者がゐるのではなからうか。本を教科書のやうに讀むとは、またさうでない読みかたとはどんなものか。さつぱりわからないけどさ。

 

マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻

マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻

  • 作者:山本貴光
  • 発売日: 2020/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)