「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(マルクス)

 「フーコーの振り子」(エーコぢやないはう)を讀んでナポレオン三世に興味をもつたのは皮肉である。鹿島茂「怪帝ナポレオンIII世」を讀みたいところであるが持つてないのでこちらを手にとつた次第。ナポレオン三世のクーデターを分析してゐるのだが、その當否がわたくしにわかるはずもないとしても、事件のおきた直後にこれだけ客觀的に分析できるのはたいしたものだと感じた。
 さてその分析によれば、ナポレオン三世は詐欺師であり、對する議會はおろかであり、その支持者たるブルジョアは目先の利﨟のみを追ひもとめ、農民は盲目であった。ひとことでいへば莫迦ばつかりといふことでせうか。わたくしの主たる關心の的であるナポレオン三世についてはたいしておもしろいことは書いてない。
 それより氣になつたのは譯文と註である。よくよくわたくしはその本の主題とは關係のない部分に注目してしまふね。意味のわかりづらい(と譯者が思つた)部分にカッコをつけて言葉をおぎなつてゐるのだが、それがやたらに多い。たしかにわかりやすくなつたところもあるが、あきらかに蛇足であつてなにやら莫迦にされた氣分になるところもある。註も叮嚀ではあるがカエサルだのパウロだのにまでつける意味があるのか。それに註文に正しいだのまちがつてゐるだの、妙に價値判斷をつけてゐるのもわづらはしい。まあ、マルクスなんぞを譯すひとといふのは、いはゆるサヨクのひとなのであつて、その繁條主義がしらずあらはれてしまつたのでせうかね。