「キリスト教思想への招待」(田川建三)

 キリスト教思想なんてものにさして関心もないが、「イエスという男」や「書物としての新約聖書」がおもしろかったので読んでみる。「<狐>が選んだ入門書」でとりあげられた一冊。キリスト教思想というか、キリスト教が現代ヨーロッパに影響をあたえた考えかたには学ぶべきものがある、という話。わたくしはキリスト教をうさんくさいと感じているし、そもそも2000年の伝統なしに学ぶといっても無理があるんぢゃないかと思ったりもするが、それはそれとしても興味深い、いい本です。
 二冊の本を読みたくなった。ひとつは「背教者ユリアヌス」で、かつて数ページ読んで挫折している。もひとつはヨハネ黙示録で、わたくしは新約は福音書と使徒行伝しか読んでないが、パウロ書翰はともかく黙示録なんてまったく興味がなかった。その黙示録を田川さんは“文学遊び”だという。『どうして彼はこういう文学的遊びをはじめたのか(中略)まあ、他人が遊びはじめたら、その理由なぞ穿鑿しないことだ。』なんて言っちゃうんですね。あと、『黙示録が何だか謎の書物のように思える理由の一つは、実は、著者がわざと謎めかした文を書いているせいでなく(そういうものもあるが)、単にギリシャ語文法が滅茶苦茶で何を言っているのかわからない、ということもある。』とかね。そんな遊びでありつつもひどく切実な黙示録を、そのうち読んでみたくなった。