「奇偶」(山口雅也)

 “奇遇”ならぬ“奇偶”とはなんだ、と手元の辞書をしらべてみると『奇数と偶数』とあった。もっとも作品中この意味でつかわれたのはたぶん一箇所にすぎず、ほかは『奇妙な偶然』という意味で用いられているようです。
 オビには『<黒い水脈>=四大奇書に連なる第五の奇書!』とある。ここでいう四大奇書とは「西遊記」や「水滸伝」のことではなく、「黒死館殺人事件」や「匣の中の失楽」などを指すのであろう(“黒い水脈”ってのは何のことか知らぬ)。個人的には「夏と冬の奏鳴曲」が第五の奇書ではないかと思っていたが、たしかにこの作品もとんでもないシロモノである。ミステリというよりも思想小説あるいは幻想文学といったほうがいいかもしれない。途方もない密室トリックがでてくるが、すぐに真相(?)がわかってしまった。というのも、ジョン・スラデックの短篇に同じネタがあったからである。これを換言すると、この作品はスラデック級に狂った小説であるということです。
 作中、片目をうしなった主人公があじわう苦しみはおそろしいほどの切実さがあり、あるいはと思ったがやはり山口さんの眼疾体験が反映されているようですな。あと、「姑獲鳥の夏」の京極さんもそうだけれど、不確定性原理の不確定性を観測作業上の問題ととらえているのが気になる。そうではなくて、それこそ原理的な問題である、と思うのだが。
 とまれ、文句のない傑作とはいえないにしても、これほどおもしろい読書体験はひさしぶりでありました。「高い城の男」を読了後、「易経」を読もうとして挫折したことがあるのだけれど、再挑戦してみますかねえ。