「驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!」(A・J・ジェイコブズ)

 訳題は最低ですな。ユダヤ人なのにモーセの兄弟アロンを知らず、大学で哲学をまなんでおいてサルトルの顔をみたことがないらしいこの著者はふしぎだが、奥さんはすてきですね。
 さて結論から申せば、すらすら読めるし可笑しいところもあるが、それだけの本である。ただ、読んでいてやたらと多くのことを思いださせてくれたことには著者に感謝してもいいかもしれない。
 そもそも、私も百科事典の通読をこころみたことがある。といっても、ブリタニカなんてだいそれたものではなく、一巻本のやつ。それだって2ページ読めたかあやしい。アーチとかアーチェリーなんて項目があったことだけは記憶している。この著者にせよ私にせよ、なんでそんなことをするのか。たぶん、智慧ではどうにも人に勝てないと自覚した人間は知識の集積にのぞみを託すのではあるまいか。ともあれ、多くの人に愚かしいと思われるであろう百科事典の通読にはひどく共感させられ、そして以下のようなことが頭に去来した。
 ジョヴァンニ・パピーニは子供のころ、あらゆる知識を集約した本を書こうとした(とどこかで読んだ)。まずはAからってんでAからはじまる地名やらなにやらすべての知識を図書館の本から書き写す。まさに愚挙だが、いたく共感したものです。たぶんジェイコブズならわかってくれるはずだ。
 マーティン・ガードナーの本にあった話。百科事典の文章をすべて数字化する。Aを01、Bを02みたいにですね。最初から最後まですべて数字にしてつなげたら、先頭に小数点をおく。そうすると百科事典のすべての知識をひとつの小数におきかえられるわけです。そして一本の棒を用意して、その全体の長さを1としたとき、この小数にあたる部分に印をつける。これでこの棒は百科事典の内容をすべて納めたことになる。このアイディアにはしびれた。私がもっている平凡社の百科事典のCD-ROMはたんなる便利な円盤にすぎないが、この棒にはなにやら崇高なものがあるぢゃないですか。
 「旅のラゴス」。この小説は私にとっては超能力小説ではなく、図書館の本をかたっぱしから読んだ男の物語である。そのプロセスをああも魅力的にえがく筒井さんはすごい。どうも私はもとはSFの人だったので、そっち方面に聯想がいきます。「ファウンデーション」冒頭の銀河帝国のすべての知識を網羅した百科事典というアイディアも魅力的だ。ハーディン市長は好きなキャラクタだが、百科事典編纂者に邪慳にすぎると思う。また「宇宙船ビーグル号の冒険」の情報統合学(だったか)というアイディアも、百科事典偏愛者をわくわくさせる。
 そういえば、ジェイコブズの父親は勉強がすきで、学位をとっては他の学校にうつるなんてことをしていたらしい。奥さんにいいかげんに職についたらとうながされてやっと終わりにしたようだが、これまたゼラズニイの「砂の中の扉」を想起させる。ゼラズニイの小説はたぶん半分くらいしか読んでないのでアレだが、「砂の中の扉」はゼラズニイの一番愛すべき小説でしょう。