「空と無我―仏教の言語観」(定方晟)

 仏教を新書で読む、の第3弾。これは面白い。やはり網羅的な入門書より、ある程度ねらいをしぼった本のほうが面白いのですかね。
 「輪廻の思想は幼稚」とか言って輪廻を斬って捨ててるし、「ブッダ入滅後の数百年間の弟子たちは凡庸」として部派仏教はとりあげてなかったり、大胆な切り口が魅力的なのであります。同じ調子で唯識までダメだししてるけど、これはどうなんですかね? 唯識が著者のいうとおりのモノなのか、無知な私には判断できませんが。
 でもってメインは空とナーガールジュナとなります。興味深い言語分析である。けれど、だから何なのか、すくなくとも著者の説明ではわからないような。ついでに無我の説明もずいぶん曖昧模糊としている。称名してると無我になるとまで言われるとどうも首肯しかねます。
 そもそも、輪廻を仏教からとっぱずしていいものなのか。「生きることは苦だ」「だったら死ねばいい」「でも生まれ変わってまた苦しむ」の最後の部分をとってしまうと、仏教はただの自殺教になってしまうんでないかなあ。