ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践
 釋尊の謎めいてゐたり、深遠さうなことばも、じつは單に瞑想のコツをいつてるだけなのではないか。と、あらたな角度からモノを見ることができるやうになつたといふ意味では價値があつた、かな。
 一面の雪景色を見て、うつくしいとも思はず、故郷の風景を想起したりもせず、ただ白といふ視覺刺戟があつたとのみ感ずるひとは、はたしてしあはせなのか? 一切皆苦ととらへるならばさうなのかもしれぬ。しよせん私は佛教徒ではないからな。
 標準的なといふか、傳統的なやりかたではサマタ瞑想ををさめてからヴィパッサナー瞑想をはじめるのはなぜか。そして、サマタをすつとばしてヴィパッサナーをやつてしまつてほんたうによいのか。そのへんもすこし氣になる。

 

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践