「スラムダンク」の終わらせかたについて
ようやく「スラムダンク」特輯のSwitchを入手しました。後日談全部が収録されてないようでがっかりなのですが、それはともかく、インタビューで作者は「スラムダンク」の終わらせかたはアレでいいのだ、以前から考えていたのだと力説しておりました。昔たまたま見かけたテレビ番組(「トップランナー」だったか)でもそんなことを言っていたけれど、これは許せないのです。
いや、「スラムダンク」はあそこで終わってよかったとは思っているのです。「ドラゴンボール」の無惨な最期を考えてもそうだし、つづきを描いてほしいとも思っていない。でも、作者があれでいいと言ってはだめでしょう。あんな終わりかたでごめんなさいと平身低頭したっていいほどです。
というのは、「スラムダンク」はもっとつづくように思わせる描かれかたをしているからです。端的にいえば森重寛の存在(諸星や土屋もそうですが)ですな。どう読んだって森重こそ最大のライヴァルになると思うし、そう思わせた責任が作者にはあるのです。ではどうやって終わらせればよかったのかといえば、八方まるくおさめる方法は無さそうですけどね。だからああいうふうに終わったことには文句がない。ただ、あれでよかったと言うのは違うだろうと思うわけです。