デズモンド・バグリイ「敵」

 フィリップ・マーロウがつかふ一人稱は何であるべきか、てな議論がありますな。清水俊二のマーロウは上品すぎるとかなんとか。そんなことを思ひだしたのは、この小説の語り手の一人稱が「おれ」だつたからである。
 これがどうも違和を感じてならぬ。最後までたうとうをりあひをつけられなかつた。時間がたつことで、譯文がふるびることがある。さういふのはさういふものだと納得できる。でも「おれ」や「わたし」はいけません。もつとも、時代によつて「おれ」や「わたし」に對する語感もかはるのでせうが。
 ついでに譯文についてもうひとついふと、「教えてくれられる」といふことばには頭をひねらされた。はじめは誤植だと思つたが、「教えてくれることができる」の意だとわかつた。こんないひかたありなんですかね?
 ストーリーはおもしろい。そもそも、バグリイにつまらぬ物語を書けるのか疑問ですけどね。まして、バグリイが自作のベストとした作品であるし。
 瀬戸川猛資はこの小説を本格ミステリに分類してゐた。さうかもしれないが、終盤のサスペンスはまさしく冒險物語のそれでありました。

敵 (1981年) (Hayakawa novels)

敵 (1981年) (Hayakawa novels)